老齢年金の受給開始時期についてYouTubeなどで情報収集すると、「60歳から繰上げてもらったほうが得」「年金は早く受け取るべき」といった内容が目につくことがあります。その一方で、原則どおり65歳から受け取る方法や、66歳以降へ繰り下げる方法を積極的に勧める動画が少ないように感じることもあります。
しかし、公的年金制度として「繰上げが最も得」と決まっているわけではありません。老齢年金は原則65歳から受給し、希望すれば60~64歳での繰上げや、66歳以降の繰下げを選択できる仕組みです。どれが有利かは寿命だけでなく、健康状態、就労収入、貯蓄、税金・社会保険、家族構成などによって変わります。
YouTubeで繰上げ推奨が多く見えることと、実際に繰上げ受給が万人に有利であることは別問題です。動画の見せ方や推薦アルゴリズムの影響も考えながら、制度そのものを理解して判断することが大切です。
年金は65歳受給が原則で、繰上げ・繰下げは選択肢
老齢基礎年金・老齢厚生年金の支給開始は原則65歳です。一定の要件を満たした人は希望により60歳から65歳になるまでの間に繰上げ請求でき、反対に65歳で受け取らず、原則として66歳以降75歳まで繰り下げることもできます。[参照:日本年金機構 年金を受け取る]
現在の繰上げでは、昭和37年4月2日以降生まれの場合、1カ月早めるごとに0.4%減額されます。60歳まで5年間(60カ月)繰り上げれば24%減額となり、この減額率は生涯続きます。昭和37年4月1日以前生まれの場合は1カ月0.5%と制度が異なります。[参照:日本年金機構 繰上げ請求の注意事項]
繰下げの場合は1カ月につき0.7%増額されます。例えば70歳まで繰り下げれば42%、対象者が75歳まで繰り下げれば最大84%増額され、その増額率も生涯変わりません。[参照:日本年金機構 年金の繰下げ受給]
なぜ「繰上げがお得」という動画は目を引きやすいのか
理由の一つとして考えられるのが、動画コンテンツとしてタイトルを作りやすいことです。「65歳から普通に受給する」という内容より、「年金は60歳からもらわないと損」「知らないと数百万円損する」といった主張のほうが意外性があり、クリックしたくなるタイトルを作りやすくなります。
これは年金制度そのものが繰上げを推奨しているという意味ではありません。YouTube上の動画がどのような理由で制作されたかは投稿者ごとに異なるため、「繰上げ動画が多い=何らかの組織が繰上げを推進している」などと考える根拠もありません。
さらに動画サイトでは、一度あるテーマを何本か見ると、似たテーマが推薦されることがあります。その結果、実際の投稿全体以上に「最近は繰上げ推奨動画ばかりだ」と感じる可能性もあります。年金に限らず、インターネット上で情報収集するときにはこの点を意識しておくとよいでしょう。
繰上げ受給にも合理的なメリットはある
もちろん、繰上げ受給を選ぶこと自体が間違いというわけではありません。最大のメリットは、65歳まで待たずに年金収入を得られることです。60代前半で仕事を辞め、給与収入がなくなった人にとっては大きな意味があります。
例えば65歳までの生活費をすべて預貯金から取り崩す必要がある人なら、繰上げ受給によって預貯金の減少速度を抑えるという考え方があります。また「元気なうちに旅行や趣味などへお金を使いたい」という価値観から、早期受給を選ぶ人もいるでしょう。
さらに受給期間だけを考えれば、早く亡くなった場合は早期に受け取り始めたほうが累計受給額で有利になることがあります。ただし自分の寿命は事前に分からないため、単純な損益分岐年齢だけで決めるのは難しいところです。
繰上げには「生涯減額」以外にも重要な注意点がある
繰上げ受給を検討するときに最も分かりやすいデメリットは、年金額が生涯減額されることです。例えば本来65歳から月10万円受け取れる人が、現行の0.4%減額対象者として60歳から60カ月繰り上げると、24%減額され、単純化すれば月7万6,000円相当になります。
さらに重要なのは、一度繰上げ請求すると原則として取り消せないことです。「やはり65歳受給に戻したい」と後から考えても変更できません。
日本年金機構はほかにも、繰上げ請求後は国民年金への任意加入や保険料の追納ができなくなること、一定の場合に事後重症による障害基礎年金等を請求できなくなること、寡婦年金などへ影響することを注意事項として示しています。したがって「何歳まで生きれば得か」という計算だけで決めるべき制度ではありません。[参照:日本年金機構 繰上げ請求の注意事項]
65歳から普通に受け取る選択にも十分な合理性がある
65歳からの通常受給は、繰上げによる永久的な減額を受けず、繰下げのために年金なしで生活する期間も作らないという中間的な選択です。「積極的におすすめする動画」が目立たなくても、制度上は65歳が原則の支給開始年齢です。
60代前半まで給与や貯蓄で生活できるものの、70歳まで年金を待つほど資金的な余裕はないという人には、65歳受給が自然な選択になることがあります。また将来の寿命や運用成績を予想して受給時期を大きく動かしたくない人にも分かりやすい方法です。
「65歳受給は何もしない選択だから損」というわけではありません。繰上げ・繰下げにはそれぞれメリットと制約があるため、そのどちらも積極的に選ばず原則どおり受給すること自体が一つの判断です。
長生きへの備えなら繰下げ受給にも大きなメリットがある
繰下げ受給の最大の特徴は、受給開始後の年金額を生涯増やせることです。増額率は1カ月0.7%なので、70歳開始なら42%増となります。対象者が75歳まで繰り下げた場合は84%増です。
例えば65歳時点の対象年金額を単純に月10万円と仮定すると、70歳まで繰り下げた場合は月14万2,000円相当になります。75歳まで繰り下げて84%増となる条件なら月18万4,000円相当です。実際の年金額は加給年金や在職老齢年金などの影響を受ける場合があるため、個別計算が必要です。
繰下げは「何歳まで生きれば元が取れるか」という投資的な見方だけではなく、長生きしたときの毎月の収入を厚くする保険として考えることもできます。一方、受給を待っている期間の生活費を自分で用意する必要があり、加給年金額など増額対象にならない部分もあるため、誰にでも適するわけではありません。
基礎年金と厚生年金を別々に繰り下げる方法もある
年金の受給開始は「全部60歳」「全部65歳」「全部70歳」の三択だけではありません。日本年金機構によると、老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々に繰り下げることができます。
例えば65歳から老齢厚生年金を受け取りながら、老齢基礎年金だけを繰り下げるといった選択肢もあります。個々の受給権や加給年金などの条件によって適切な方法は異なりますが、受給開始を柔軟に設計できる場合があります。
「繰上げか繰下げか」という二択だけで考えると、こうした中間的な選択肢を見落としやすくなります。SNSや動画の短い解説だけで決めず、自分の年金記録を基に具体的な金額を比較することが重要です。
年金の受給開始は「総額」だけでなく老後のキャッシュフローで考える
年金の話では「何歳が損益分岐点か」が注目されがちですが、老後のお金では毎月いくら入ってくるかも重要です。同じ生涯受給総額になったとしても、60代に多く必要な人と80代以降の収入を厚くしたい人では適した受給方法が違います。
判断するときは、60歳・65歳・70歳など各時点について、年金見込額、給与、退職金、預貯金、企業年金、生活費、住宅ローンなどを並べてみると分かりやすくなります。税金や社会保険料への影響も含めれば、額面の年金額だけを比較した場合とは結果が変わることがあります。
日本年金機構の「ねんきんネット」では、自身の年金記録を確認しながら将来の年金見込額を試算できます。一般論ではなく自分自身の数字で比較することが、受給開始時期を決めるうえで有効です。[参照:日本年金機構 ねんきんネット]
まとめ:繰上げ動画が多く見えても「繰上げが正解」とは限らない
YouTubeで年金の繰上げ受給を勧める動画が多く見える背景には、早くもらうというテーマの分かりやすさや、意外性のあるタイトルを作りやすいこと、さらに類似動画が推薦されることで同じ主張を繰り返し目にする可能性などが考えられます。しかし、それをもって公的年金制度として繰上げが推奨されていると判断することはできません。
公的年金は原則65歳受給であり、繰上げには早く受け取れるメリットと生涯減額などのデメリット、繰下げには生涯増額というメリットと受給開始まで自分の資金で生活する必要があるというデメリットがあります。
特に繰上げは一度請求すると取り消せず、障害年金や寡婦年金、任意加入・追納などに関係する重要な注意点があります。「早死になら繰上げ、長生きなら繰下げ」といった単純な比較だけでは十分ではありません。動画の結論をそのまま採用するのではなく、ねんきんネットなどで自分の受給額を確認し、60代以降の収入・資産・生活費を含めて60歳、65歳、70歳など複数のケースを比較して決めることが大切です。


コメント