現代では老後の生活資金として「年金」が一般的ですが、日本で公的年金制度が整備されたのは戦後のことです。それ以前の高齢者たちは、年金がない中でどのように暮らしていたのでしょうか。この記事では、年金制度がなかった時代の高齢者の生活実態について詳しく見ていきます。
年金制度の始まりと、それ以前の日本社会
日本で初めて本格的な年金制度が導入されたのは1942年の「労働者年金制度」、そして1961年の「国民年金制度」で全国民に対象が広がりました。それまでは、制度的な支えがほとんどなく、個人や家族の努力に大きく依存していました。
特に農村部では「家族制度」が強く、高齢になった親は子どもと同居し、家事や育児を手伝いながら生活費を分け合うという生活が一般的でした。
子どもや家族からの仕送りが生活の支え
都市部では、高齢者は子どもたちからの仕送りに頼ることが多く、経済的に余裕のある子どもに頼らざるを得ない状況でした。長男が家を継ぎ、親の面倒を見るという習慣があり、扶養は当然の義務とされていました。
たとえば、昭和初期の家計簿をみると、親の生活費として「仕送り:10円」などの記載があり、子の給与の一部が親の生活費に充てられていたことがわかります。
農業・自給自足の暮らしで現金収入に頼らない生活
農村地域では、畑で野菜を作り、自家用の米を収穫し、家畜を飼うなど、ほぼ自給自足の生活が可能でした。このため、高齢者も軽作業をしながら生活に貢献し、現金収入にそれほど依存せずに生きていける仕組みが整っていました。
また、物々交換の文化や、地域内で助け合う慣習もあり、地域コミュニティが重要なセーフティネットとなっていました。
老後の備えとしての「貯金」や「質素な暮らし」
一部の人々は、若いころから老後のために少しずつ貯金をしていました。ただし、銀行制度や保険制度の普及は限定的で、貯金の手段も限られていました。
結果として、老後は極めて質素な生活を送ることが一般的であり、「贅沢をしない」「食費を切り詰める」といった生活の工夫が日常的に行われていました。
「我慢」や「耐える文化」が支えた老後
年金がない時代は、今ほど「豊かな老後」は一般的ではなく、「老いる=労働力がなくなる」ことは生活の困窮を意味していました。
その中で、日本独特の「耐える文化」や「恩を受けたら返す」という道徳観が、家族を支え合う根底にありました。老人ホームや介護施設といった制度も存在しないため、最後まで自宅で看取られるのが通常でした。
まとめ:制度がない時代は、家族と地域の絆が最大の支えだった
年金制度が存在しなかった時代の高齢者の生活は、今とはまったく異なるものでした。貯金や仕送り、自給自足、地域の助け合い、そして我慢や質素な生活がその支えとなっていました。
現代では公的年金に加えて、個人年金や資産形成など老後対策の手段が豊富ですが、かつての人々の生活から学べる知恵も多くあります。制度に頼らずとも支え合える社会を再考する機会として、過去の暮らし方にも目を向けてみましょう。
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