新1000円札の北里柴三郎が新渡戸稲造に見える?人物デザインと錯覚の不思議

家計、貯金

2024年7月、ついに新紙幣が発行され、1000円札には細菌学の父・北里柴三郎が登場しました。しかし一部では、「北里さんの顔が新渡戸稲造に見える」「新札なのに間違えて旧5000円札だと思ってしまった」という声もあるようです。この記事では、こうした錯覚の理由と背景について、デザインの観点や心理的な要因を交えて探っていきます。

なぜ北里柴三郎が新渡戸稲造に見えるのか

まず第一に、風格ある人物画のテイストが共通していることが挙げられます。新渡戸稲造(旧5000円札)も北里柴三郎(新1000円札)も、スーツ姿・ひげ・穏やかで賢そうな表情という、いわゆる「知識人」像で描かれています。

また、新渡戸の肖像は比較的古典的で落ち着いたタッチでしたが、新札の北里も似た筆致で仕上げられており、記憶の中で両者が重なってしまうのは自然な現象です。

札の色合いとサイズ感が錯覚を引き起こす

紙幣の錯覚の原因の1つは、色彩とサイズの印象です。新1000円札はブルー系のグラデーションを採用していますが、光の当たり方や財布内での視認性によっては、かつての5000円札と混同しやすくなります。

特に高齢者や色覚に個人差のある人にとっては、「この色=いくら」という記憶が先に働いてしまうことも多いのです。

貫録ある肖像は錯覚を助長する?

北里柴三郎の肖像は、漱石や野口英世と比べても明確なスーツ姿+がっしり体型で「風格」が強調されており、「高額紙幣では?」という先入観を与える可能性があります。

また、漱石や野口英世の肖像はどこか柔和さが残っているのに対し、北里の肖像は硬派な印象で、紙幣の額面以上の重厚さを感じさせます。

このような感覚を抱くのは自分だけ?

いえ、こうした体験を持つ人は意外と多いようです。SNS上では「1000円札だと気づかずに5000円札だと思ってた」「財布に残ってると思ったら少なかった」といった声も見られ、視覚の印象と金銭感覚のズレは多くの人に共通しています。

特に旧紙幣のデザインに慣れた世代にとっては、変化に脳がついていかず、視覚的な混乱を一時的に起こすのはごく自然なことなのです。

過去の紙幣デザインも似ていた?

紙幣デザインは一貫して「権威」「信頼感」「文化」を表す構図で描かれてきました。新渡戸稲造(旧5000円札)と北里柴三郎(新1000円札)は、異なる時代ながらも共通する「近代日本を支えた偉人」として、誠実で知的な印象を強く打ち出しています。

このため、顔の系統+紙幣に求められるデザイン基準が重なり、類似性を感じてしまうのです。

まとめ:紙幣の印象は見た目以上に脳がつくる

新紙幣の登場により「見間違えた」「額面を勘違いした」といった現象が起こるのは珍しくありません。特にデザインの系統が似ていた場合、過去の記憶や金銭感覚が干渉して錯覚が生じることがあります。

財布を開けたときは一瞬立ち止まって金額を確認することで、無意識の思い込みを避けられるかもしれません。慣れてくれば自然と目もなじんでくるでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました